「スピードマスター」と聞いて、真っ先に頭に浮かぶのは、人類初の月面着陸を果たした「ムーンウォッチ」の姿でしょうか。
確かに、このシリーズはスペース・トロニクス(宇宙開発用時計)として世界的な名声を確立しました。しかし、スピードマスターの血統は多岐にわたり、1960~70年代には宇宙とは別の領域、「航空」をテーマにしたモデルも存在していました。それが今回、復刻という形で蘇った「フライトマスター(飛霸)」です。
失われた伝説のモデル:初代「飛霸」
1969年から1972年にかけて生産された初代「飛霸」は、フレデリック・ロベール(Frédéric Robert)という天才デザイナーによって生み出されました。
当時としては異例の 43×52mm という大型ケースと、耳を隠すような「アワビシェル(鲍魚壳)」型のデザインは、一見して他の追随を許さない存在感を放っていました。また、単なるクロノグラフではなく、GMT機能を備えていた点も大きな特徴。これは、当時急速に発展していたジェット機時代のパイロットたちが、複数のタイムゾーンを跨いで飛行するニーズに応えるための、実に合理的な設計でした。
復刻版の新解釈:超霸シリーズへの帰還
今回登場した2024年限定モデルは、この「飛霸」の後期型(Ref. 145.013)を忠実に再現しつつ、現代の「スピードマスター」として生まれ変わっています。
ケースデザインの変更:
初代の個性的なアワビシェルケースは、現代の審美眼に合わせて、1957年初代超霸を彷彿させる対称型ケースに置き換えられました。サイズも現代的な装着感を考慮し、 40.85mm に設定されています。
超霸DNAの追加:
ベゼルにはスピードマスターお馴染みの測速計(タキメーター)が配置され、文字盤には「ハミガメ」のエンブレムが刻印。これらの要素により、これは単なる「飛霸の復刻」ではなく、「超霸シリーズ」の一員であることを明確に示しています。
航空機計器盤を彷彿させる文字盤
文字盤のディテールには、航空機の計器盤を思わせるこだわりが詰まっています。
飛行姿勢儀(Attitude Indicator): 9時位置のサブダイヤル周辺に配置された青色の領域は、飛行機の「飛行姿勢儀」をモチーフにしています。
燃料計(Fuel Gauge): 3時位置の計時盤には、オレンジ色の目盛りが施され、まるで航空機の燃料計を覗いているかのような錯覚に陥ります。
秒針の意匠: 計時秒針の先端には、小さな飛行機のシルエットが配され、このモデルのテーマである「航空」へのオマージュを忘れません。
進化した中身:キャリバー 9900
裏蓋を向けると、そこには海馬のエンブレムの下に、現代の最高峰ムーブメントが搭載されています。
ムーブメント: キャリバー 9900 自動巻きムーブメント。
性能: 垂直クラッチとカラムホイールを組み合わせた、高い耐久性を誇るクロノグラフ機構。
耐磁性能: 現在のスピードマスターの誇る「至臻天文台(Master Chronometer)」認定を取得。15,000ガウスもの強力な磁場にも耐えうる性能を備えています。
動力貯蔵: 約60時間。
総括:過去と現在の融合
このスピードマスター パイロットは、単なる「ノスタルジー」ではありません。
1960年代の航空機マニアックなデザインを保ちつつ、現代の素材科学とムーブメント技術(シリコン遊丝、高耐磁)を取り入れることで、実用時計としての完成度をも高めています。
スピードマスターのコレクターにとっては「ムーンウォッチ」は外せない定番ですが、この「パイロット」は、そんな定番の陰に隠れがちだった、スピードマスターのもう一つの顔を現代に蘇らせた、まさに「埋もれた名作の復活」といえるでしょう。